| 強く生きるための医学(30) | |||||
| 喘息大学学長 清水 巍 | |||||
| 30 バランスの問題 都に雨の降るごとく ポール・ヴェルレーヌ作詩 鈴木 信太郎 訳 都に雨の降るごとく わが心にも涙ふる。 心の底ににじみいる この侘しさは何ならむ。 大地に屋根に降りしきる 雨のひびきのしめやかさ。 うらさびわたる心には おお 雨の音 雨の歌 かなしみうれうるこの心 いわれなくて涙ふる。 うらみの思いあらばこそ ゆえだもあらぬこのなげき。 恋も憎しみもあらずして いかなるゆえにわが心 かくも悩むか知らぬこそ 悩みのうちのなやみなれ。 ど うしてこうも侘びしいのか。悩みが次から次と、雨のように、涙のように降ってくるのだろうか。人間の心の内面を見事に歌い上げたヴェルレーヌも大したものですが、鈴木信太郎さんの訳も大したものだと思います。同じ詩人のましろの月=i喘大5期生卒論集の巻頭画の詩)は、永井荷風の訳がよいようです。持っている人は出してきてヴェルレーヌを味わってみて下さい。 このように、悩みや感情を詩や芸術に磨き上げることを昇華≠ニ言います。作る人も、訳す人も、読む人も感動します。なじみや、環境の問題もあるでしょうが、少しでも良き芸術や姿に感動できる健康な自分をつくっていきたいものです。 ところが、 都に風の吹くごとく わが心にも風が吹く。 ・・・・・ 喉に気管に鳴りしきる、 咳のひびきのしめやかさ。 うらさびわたる気管には、 おお 痰の音 痰の歌。 かなしみうれうるこの気管、 いわれなくて痰が出る。 いかなるゆえにわが気管 かくも鳴るか知らぬこそ 悩みのうちのなやみなれ となってしまうのは、昇華≠ナはなく症(状)化≠ナあります。たとえ、その原因が家の中のダニのアレルギーであろうと、感染、過労、ストレス、過剰適応や不適応、気道過敏性や公害が原因であろうと、問題解決まで持っていけてない人間の姿、医療機関、社会の姿を現わしています。 片や芸術で、困ったことや感情を表現し、喘息の人の場合は、困った事態を喘息や身体症状で一生けんめいに表現していることになります。同じように血と汗と涙、努力の結晶であるにしても、生産的な姿と非生産的な姿の差は歴然としています。どうしてこのようなことになってしまうのでしょうか。ヴェルレーヌをもう少し先まで見てみることにしましょう。 ヴェルレーヌは、このような深い感情を詩に昇華できている時はまだ、生活が安定していたそうですが、泥酔と街娼に身を崩すようになってからは、書きなぐるような詩しか作れなくなって、晩年はとても淋しい姿になった ― と解説書には記されています。今から100年も前のフランスの社会に生きた詩人のことですから、一概に現在と比較はできません。しかし、ここから2つを汲みとることができます。 1つは、内面から鋭く突き上がってくるものがあっても、健全な生活の中では、繊細な音楽のような詩≠ノ昇華することができたということ。もう1つは、その安定が崩れるや、世紀の天才詩人にしても泥酔や拳銃を使って身を破滅に追い込んだということです。精神的に安定した生活の中では芸術へ凝縮することができたけれども、崩れてからは、酒で自分の身体を責(さい)なむことによって、感情を紛らわしたのです。 このように、人間は、よい方向にエネルギーを昇華する場合と、自分を傷めつけ、責なみ、病気になってしまう場合とがあるのです。フロイトは、死の本能≠ェ人間に備わっているとしか考えようがない ― と述べましたが、伸びようとして伸びられぬ場合、思うようにならぬと、他人や自分を、伸びられなかった分だけ痛めつけないと、気が済まなくなってしまうのです。昼は表面だけ菩薩のようにふるまっていると、夜は阿修羅か夜叉のごとくならないと、バランスが保てなくなってしまいます。 夜叉か阿修羅となって思いを実現できれば、喘息にならなくて済むでしょうか。それが出来るほど乱暴ではありませんから、喘息で訴えるしかなくなります。その結果、出てきた症状にやたらこだわる人が、外面、体面ばかりやたら気にする人です。それにこだわる人ほど、内面が問題なのに気づいていません。 では、どうすればよいのでしょうか。 生の本能、死の本能、があるのか。プラスの指向性があって、マイナスの指向性が同時にあるのか。それを何と呼ぶにしても、生産的な結果と非生産的な結果があるわけですから、両面を同時にコントロールすることが大事です。あまりにも生産的な面を追いすぎて、その反動が来てはいないか。非生産的な落ち込みや、自分への責めの意識が強すぎはしないか。プラスの方もマイナスの方もコントロールしなければなりません。 時間と努力によって両面をコントロールして、よい結果が生まれるようにバランスをとることが大事です。現実と平和共存し、和解しながらよいバランスを回復することです。肯定的な和解、自分や回りを責めすぎない和解が大切です。 あまりにも理想を追い求めていはしないでしょうか。完全さを求めていはしないでしょうか。それが得られぬからと言って、症状にばかり、目を奪われていはしないでしょうか。自分を傷めつけ苦しめていはしないでしょうか。問題を真正面から解決することが出来ないから、喘息を起こしては逃げてきたのではないでしょうか。もっとよくなりたい、なれないと言っては自分を責め、落ち込んではいないでしょうか。涙さえもこらえてしまい、目は乾き、気管から痰となって出るだけになってはいないでしょうか。現実を拒否するから苦しくなるのです。 自分に要求する目標を下げたら楽になって、よくなった。本心に気づき、書き、認めることが出来たらよくなった。いずれも現実と和解のバランスが作れたのです。現実を認めた上で、更に、同じフランスのルイ・アラゴンの未来の歌≠フように、夢と明日に向って生きようではありませんか。 |
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